上野周辺 西洋美術

怖い絵展を上野の森美術館にて

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》1833年 油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, (c)The National Gallery, London. Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902

 東京、上野の森美術館に『怖い絵展』を観に行ってきました。この展覧会は、作家・ドイツ文学者の中野京子氏が2007年に出版した書籍『怖い絵』の刊行10周年を記念して開催されたものです。大注目の本展についての解説をお伝えします。

連日大行列の人気展覧会

 前売り券を購入して始まる前から楽しみにしていたのですが、なかなか行けないでいるうちに連日大行列になっていると知りすっかり腰が重くなってしまいました。少しでも空いている日に行きたいと思い、待機列情報をオフィシャルTwitterで毎日チェックしていたのですが、空いている日などなくこのままだと行けないで終わってしまいそうだったので決心して行ってきたわけなのです。

 そもそもベストセラー書籍の名を冠した展覧会ですから注目度は当然高かったわけですが、多くのテレビ番組等で紹介されたことで爆発的に知名度が上がり、それが連日の大盛況に繋がったのでしょう。やはりテレビの影響力は凄まじいですね。
入場の待ち時間は平日でも1時間越えは当たり前で、土日には2時間を超えることもあるとのこと。僕が行ったのは平日のお昼頃でしたが、100分待ちでした。(実際に並んだのは90分位だったと思います)あまりの盛況ぶりに開館時間が会期途中に延長され、本来10時〜17時だったのが9時〜18時、そして最終的には9時〜20時になりました。休館日もなしです。ここまで連日大盛況の展覧会は、最近無かったのではないでしょうか。

 外にあれだけ並んでいるわけですから、当然中も人で溢れかえっています。
特に前半の展示エリアはかなり混んでいて、なかなか作品に近づけないほどでした。
係員もしきりにアナウンスしていましたが、後半のエリアの方が多少空いているのでそちらから鑑賞するのも良いかもしれません。展覧会入口と出口はそのまま行き来出来るようになっているので、1度最後まで鑑賞した後にまた最初に戻ることは可能です。
因みに上野の森美術館は館内にロッカーがないので、利用したい方は待機列に並ぶ前に美術館入口前のロッカーをご利用ください。そのことを知らずに荷物を持ったまま列に並び、そのまま鑑賞するしかなくなってしまった方が大勢いらっしゃったのではないでしょうか。

 音声ガイドは女優の吉田 羊さんが担当されました。落ち着いた声色が展覧会の雰囲気にピッタリ合っていましたよ。この後解説する当展覧会のコンセプトから考えれば、音声ガイドはとても意味があるものだと思います。
貸出料金は1台につき550円です。

それでは展覧会の“中身”を解説していきます。

その闇を知ったとき、名画は違う顔を見せる。

 いつからか、絵画は予備知識を持たない状態で鑑賞するべきだと言われるようになりました。知識は鑑賞者にとって余計な先入観を植えつけるという考え方です。

しかしその考え方は結果的に、色や構図や筆の使い方といった技術的な部分を理解しきれない人たちにとって、美術館巡りを退屈なものにしてしまう要因になっていると『怖い絵』著者、中野京子氏は感じたそう。極端な話ですがそういった人は、“感性”のみを頼りに鑑賞して、その結果好きか嫌いでしかその絵を評価することが出来ないのです。
ですが私たちが目にする多くの絵画には物語があり、画家の計算やそれを描かせた注文主の思惑、そして長い歴史やその時代特有の常識や文化といった“意味”が込められています。その“意味”をもって絵画に光をあてることで、その絵本来の魅力、更には新たな魅力さえも発見出来るのではないでしょうか。

  “意味”を知ることで私たちが得られる感情は絵によって様々だと思いますが、この展覧会では「恐怖」にテーマが絞られています。それも、一見何も怖いものは描かれていないのに、“意味”によって恐怖が滲み出てくるというものです。なかには見るからにおどろおどろしい作品もありますが、そういった絵も意味を知ることでより恐怖を感じられたり、実は目に見えていない部分に本当の恐怖が潜んでいたりするので、一点一点作品解説を読みながらの鑑賞をおすすめします。主要な作品には中野氏による解説もありました。

 展覧会はテーマごとに分けられた以下の6章で構成されています。

第1章 神話と聖書
第2章 悪魔、地獄、怪物
第3章 異界と幻視
第4章 現実
第5章 崇高の風景
第6章 歴史

それぞれ「恐怖」を違った視点から捉えているわけです。

 前半は(悪魔)(怪物)(異界)といったように恐怖の対象がわかりやすい作品が多いです。こういったモチーフは言うなれば死の恐怖を具現化したものですから、普遍的に人間の根本にある「恐怖」そのものなんですよね。 ですから捉え方に多少差があるにしても、いつの時代でも世界中の人が同じように恐怖を抱くわけです。知識を持っていない赤ん坊でも怖がるわけですから。

しかし、怖い絵展の真骨頂は後半からでしょう。

人は生きている限り、様々な苦悩そして恐怖から逃れることは出来ません。
それが現実というものです。悪魔や怪物はそれらに姿を与え、一つの概念とすることで恐怖を理解し、逃れようとした結果とも言えます。
でも実際には恐怖に姿形などはなく、常に目に見えない形で我々の周りに満ち溢れているのです。そういった様子が後半の作品には描かれています。

第4章では人々の苦悩が、第5章では抗いようのない“自然”の崇高さが、第6章では歴史を通して人間の醜さが、それぞれ描かれています。しかし先に説明したように、それらは必ずしも画面中に描かれているとは限りません。画家の声に耳を澄まし、歴史・時代背景を読み解くことではじめてそこに潜んでいる恐怖が姿を現し、絵の様相を一変させることでしょう。
是非、その美しさに酔いしれてください。

 というわけで『怖い絵展』について簡単にではありますが解説させていただきました。
鑑賞についてもう一点言わせていただくなら、展覧会の性質から2周に渡って鑑賞するとより楽しめるのではないかと思います。1周目は音声ガイドを聴かず、説明も流し読み程度にしながら最後まで鑑賞します。そして2周目にガイドを聴きながら、じっくりと時間をかけて鑑賞するのです。1周目と2周目で絵が全く違って見えてくると思いますよ。余裕がある方は別の日に再度来館するのも良いかもしれませんね。
僕は結局4時間くらい鑑賞していました。もちろん混雑していた影響はありますが、いつも以上に作品解説をじっくり読んでいたためでしょう。鑑賞後の充実感もひとしおでした。

 帰りにショップにて公式図録を購入しました。全展示作品をカラーで掲載しており、その全てに解説も付いていますので帰宅後の復習もばっちりです。美術館出口のショップにて価格は2500円で販売しています。

注目の作品を紹介

1.『レディ・ジェーン・グレイの処刑』ポール・ドラローシュ

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》1833年 油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 Paul Delaroche, The Execution of Lady Jane Grey, (c)The National Gallery, London. Bequeathed by the Second Lord Cheylesmore, 1902

 19世紀前半にフランスで活躍した画家ドラローシュが1833年に発表した作品で、251×302cmの大作。描かれているのは、イングランド史上初の女王ジェーン・グレイの処刑の場面。彼女は、ヘンリー8世の姪の娘として生まれたばかりに政争に巻き込まれ、望みもしない王冠を被せられたあげく、反逆罪によりわずか16歳で処刑されました。しかも、女王でいられたのはたった9日間。そのため彼女には「9日間の女王」という異名がつけられています。

 目隠しをさせられ、司祭に導かれながら断頭台を探すジェーンの左薬指には真新しい結婚指輪がはめられています。
覚悟を決めたように、もはや落ち着きすら感じさせるジェーンとは対照的に、左側では二人の侍女が泣き崩れています。手前側の女性に至っては気を失っているようにも見えます。右側では斧を持った処刑人が出番を待っています。断頭台の下に敷かれた藁は血を吸いとるためのもの。この後の惨劇が想像させられ、戦慄を覚えずにはいられません。

 今展覧会の主役であり、日本初公開のこの絵の前には一際人だかりができていました。因みに中野氏は、「ジェーンが来ないなら展覧会はしなくていい」と伝えたほどこの絵を展示することに強くこだわったそうです。絵を借りる契約書を取り交わすまでに数年かかったそう。

2.『切り裂きジャックの寝室』ウォルター・リチャード・シッカート

ウォルター・リチャード・シッカート《切り裂きジャックの寝室》1906-07年 油彩・カンヴァス マンチェスター市立美術館蔵 © Manchester Art Gallery/Bridgeman Images

 シッカートは1880年代後半から、ロンドンの新しい美術の中心的存在として高く評価された一方で、なんとあの猟奇連続殺人鬼の元祖とされる「切り裂きジャック」の正体なのではないかと言われています。彼は切り裂きジャック事件に異様なほどの関心を抱き、事件にインスパイアされた絵をいくつも描いているのです。この絵もまた、ジャックが一時住んでいたとされる部屋をわざわざ借りてそれを描いたものです。

 非常に抽象的ながら、なんとも不穏な空気を漂わせています。ベッド、窓、ドレッサー、ドアが描かれるも、そこに人はいません。それなのに何か危険な気配に満ちているのは、やはりシッカートがジャック本人だからなのでしょうか。真相は未だ不明ですが、その知識を得た上で見るとそう思えてきますよね。知ることで恐怖が滲み出てくる、この展覧会のコンセプトに最も合った作品の一つではないでしょうか。

3.『ソドムの天使』ギュスターヴ・モロー

ギュスターヴ・モロー《ソドムの天使》

ギュスターヴ・モロー《ソドムの天使》1885年頃 油彩・カンヴァス ギュスターヴ・モロー美術館蔵 © RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

 聖書やギリシャ神話を主題にして、人間と世界の内奥を探ろうとしていた画家モロー。

ソドムとは旧約聖書に登場する悪徳の町です。そんなソドムに、神は二人の天使を遣わせました。その天使たちが美しい男を装っていた為、堕落したソドムの男たちに襲われそうになりますが、それをロトという老人がかくまいます。それを良しとした神はロトと二人の娘だけを救い、町に硫黄と火を雨のように降らせました。様々な作品で描かれたテーマですが、モローはこれを非常に抽象的かつ幻想的に描いています。

 天使というと人を守ってくれる優しい存在を思い浮かべがちですが、聖書において天使はあくまでも神の使いであり、その神の命令があれば殺戮すら行います。そんな神や天使の“壮大さ”や“崇高さ”には、畏敬の念を通り越して恐怖を感じてしまいます。

4.『老人と死』ジョセフ・ライト

ジョセフ・ライト《老人と死》

ジョセフ・ライト 老人と死 1775年頃 油彩・カンヴァス リバプール国立美術館蔵 © Courtesy National Museums Liverpool, Walker Art Gallery

 イソップ寓話の『老人と死神』をモチーフにした作品。重たい芝を運ぶのに疲れ果てた老人が「死にたい」とつぶやくと、それを聞きつけた死神が本当に現れる。反射的に「寄るな」とばかりに左腕を伸ばす老人に、「何か用か」と問う死神。
老人はこう答えました。「この重い荷物を運んで欲しいと思って」

 前言撤回のための老人の機転を利かせた返しに思わずクスッとしてしまう笑い話なのですが、それも作品の意味を知ってこそのものです。何も知らずに見ると“ただの怖い絵”で終わってしまいます。

5.『チャールズ1世の幸福だった日々』フレデリック・グッドール

フレデリック・グッドール《チャールズ1世の幸福だった日々》

フレデリック・グッドール チャールズ1世の幸福だった日々 1853年頃 油彩・カンヴァス ベリー美術館蔵 © Bury Art Museum & Sculpture Centre, Greater Manchester, UK

 17世紀のロンドン、テムズ河。豪華な遊覧船でハンプトン・コート宮殿へと向かう最中、船遊びを楽しんでいるのは当時のイングランド王チャールズ1世とその家族、そして廷臣たち。黒い衣装、特徴的な髭に流行りの帽子をかぶっているのが国王。緋色のドレスに身を包んでいる王妃。白鳥に餌を与えているのはジェームズ王子とエリザベス王女。天蓋の下にチャールズ王子とメアリー王女。一家の穏やかなひと時を描いたこの絵ですが、決して国王を賛美しているわけでも、その贅沢ぶりを告発しているわけでもありません。

 子供たちの年恰好などからこの絵が1636年前後を描いたものと推測されますが、チャールズ1世は1649年に清教徒革命によって処刑されます。つまりこの絵は、この幸せな日々が長くは続かないこと、その歴史の足音にチャールズ1世が気付いていないことを示唆しているのです。

 この絵もまた、意味を知っているかどうかで全く見え方が変わります。画面には怖いものなど一切描かれていないのですから。作者グッドールも、画面の雰囲気を感じるだけでなく、歴史を丸ごと含んで鑑賞してもらうことを望んでいるでしょう。

  ある種の「悪」が燦然たる魅力を放つように、「恐怖」にも抗いがたい吸引力があり、人は安全な場所から恐怖を垣間見たい、恐怖を楽しみたい、というどうしようもない欲求を抱いてしまう。これは奇妙でも何でもなく、死の恐怖を感じるときほど生きる実感を得られる瞬間はない、という人間存在の皮肉な有りようからきている。

(中野京子『怖い絵』朝日出版社、2007年、「まえがき」より)

 

  人間が抱く恐怖の本質は「死」この一点に尽きます。いかなる恐怖も死に対する恐怖が形を変えたものなのです。それは生きている限り常に付き纏います。しかし、我々は「死」を恐れるからこそ「生」の喜びを感じることが出来ます。だからこそ人々は『怖い絵』に惹きつけられるのです。劇的に描かれた“死の恐怖”を美しいと感じるのは、実はそこに、生きることの尊さが透けて見えているからなのかもしれません。

開催概要

会期:2017年10月7日(土)~12月17日(日)※会期中無休
開館時間:午前10時~午後5時 ※入場は閉館の30分前まで
好評につき、開館時間が以下の通り延長しております。 ※入場は閉館の30分前まで
11月10日(金)9:00~20:00 11月11日(土)9:00~20:00 11月12日(日)9:00~18:00 11月13日(月)10:00~17:00 ※時間延長なし 11月14日(火)9:00~18:00 11月15日(水)9:00~18:00
11月16日(木)以降、曜日に関わらず毎日9:00~20:00

(兵庫会場は兵庫県立美術館にて2017.7/22~9/18開催)

観覧料金(東京会場)

 当日券 (前売券 または20名以上の団体割引料金)
一般 1,600円 (1,400円) 、大学生・高校生 1,200円 (1,000円)、 中学生・小学生 600円 (500円) 、小学生未満 無料 

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